難解な蕎麦屋
最近またワタシの食への関心は鮨から蕎麦へと移ろいつつあるようだ。食へのあくなき探究心
の現れであろうか。単に飽きっぽいともいうのかも知れない。また、蕎麦の方が鮨より安いとい
う事も大きな理由であろう。
蕎麦を嫌いな日本人はあまりいないと思うが(アレルギーの人は別として)、もちろん私も好きだ。
かけ蕎麦やざる蕎麦は値段も安いし、街を歩いていてちょっと小腹がすいたなと思ったら手近な
蕎麦屋に飛び込んで、ズルズル、というのが蕎麦屋の利用の仕方だと思っていた。夏は冷たい
蕎麦、冬は熱いの、お金のある時は天ぷら蕎麦でも、という程度がワタシの中での蕎麦の区分
である。ところが、気が付けば、今や蕎麦屋は恐ろしい程に差別化が始まっているのだ。
田舎蕎麦だ、更科だ、二八だ、藪だ。なんだか私にはさっぱり分からない世界が出現しているで
はないか。蕎麦粉はどこの産地で、挽き方、打ち方、すべてに拘り、そして値段の高い店がいつ
の間にかたくさん出来ているのである。食べる側もあれこれ拘り、贔屓の店があり、つゆから麺
から種物の具まで、批評できるようである。先日読んだある一文には(決して職業批評家ではない
ふつうの人の文である)出された蕎麦の「まずつゆの香りをきいた」とあった。ワインのテイスティ
ングのようであるな。思わず腕組みをして唸ってしまったワタシである。
ワタシは蕎麦の良し悪しがよく分からない。拘りの蕎麦屋においては、メニューもなんだか違って
見える。ざる蕎麦にするのか、狸蕎麦にするのか、という選択ではなく、せいろを更科で、とかなん
だか難しいのである。そこのお店によって違う呼び方をしている事もあり、ワタシにとってはフランス
料理のメニューより分からないこともあるのである。ああ、ワタシだって日本人なんだがな。
しかし、分からないものは探求せねばなるまい。ダンナと連れ立って蕎麦遠征をするワタシであった
がある日の一軒。ここも街の蕎麦屋というよりは拘りを感じさせる洒落た建物、内装の蕎麦屋で
ある。が、あまり整えすぎない庭がやや鄙びた印象を与え、すっきりとデザインされた内装ながら
あまり和から離れず、蕎麦を食べるという事を忘れさせない。注文したせいろの田舎蕎麦を一口
啜ると、その蕎麦の存在感にほう、と感心してしまった。ワタシでも美味いと思える蕎麦があったの
だと、なんだか嬉しく後は一気に啜りこんだものである。(店名は「松○○」、中央区)
蕎麦は蕎麦だし、やっぱりその辺で気軽に食べる食べ物だし、大多数の方々は拘り蕎麦屋であっ
ても、気軽に啜っているであろう。そば好きの人にきくと、どんな蕎麦でも基本的には好き、というし、
ワタシだってそのはずである。だけれどねえ、ある種の蕎麦屋では、「これが蕎麦か?」、「ここはいっ
たい蕎麦屋なのか?」、「蕎麦を啜ってこの値段?」、「これっぽち?」というような、難解な蕎麦にオロオロ
しているのが現状であるのだ。