思い出の蟹
道東へ食材見学の旅に出かけた折の出来事である。釧路に宿を取った我々は、早速にも
霧の釧路の夜を楽しまんと張り切って繁華街へと繰り出した。レストランで楽しくディナーを
頂き、その後釧路といえば炉端焼きでしょう、と渋い和服のおかみさんが好きなものを炙っ
て下さるお店で一杯やっているうちに、同行の一名が歌を歌いたい、と言い出したのであっ
た。釧路に土地鑑と知り合いのある別の一名が早速に携帯を取り出して、どこかカラオケを
歌える適当な店はないかと問い合わせを始め、このような情報を得たのである。
「第3○○ビル」の3階か4階にマスターが一人でやってるスナックがあって、なんだか忘れ
たけどフランス語みたいな店名。エレベーターを降りたら右で一番奥だと思う。しばらく前に行
ってボトルを入れたから、○理士の大○原のボトルっていえば分るから。確かカラオケある
はずよ。
これだけの情報を頼りに動き出した我々はまず該当のビルをみつけ、お店の案内板を眺め
た。フランス語みたいな、というからにはカタカナであり、語尾に「〜ル」とか「〜ジュ」とか付く
のであろう。3階か4階のそれらしいお店を覗いてみたが、マスターが一人というお店は見つ
からなかった。ママがいたり若い女の子たちがいたり、賑やかである。もっと上の方の階にも
「〜ジュ」の付くお店があり、行ってみると確かにエレベーターを降りて右側であり、一番奥で
あり、マスターが一人でやっている。お客もなく、マスター一人っきりであった。きっとここに違
いないと考えた我々は入り口から「○理士の大○原さんのボトル入ってますか〜」と尋ねると
マスターはさかんに首を捻りながら、「○理士の大○原さん」を思い出そうとするも、思い当た
らないらしい。ここでもいいかと思った我々は「マスター、この店高いの?」と聞くと「いやー、
ウチは安いですよ」と言うので、よし、じゃあここで歌おう歌おうとドヤドヤ入店したのである。
飲み物を頼み、歌本とマイクを渡され、喉を潤しながら、さあ何を歌おうかと本をめくり始めて
いると、カウンターの中のマスターが冷蔵庫から新聞紙に包まれたものを取り出している。
包みの中から「毛蟹」が出され、マスターはその姿のままの毛蟹を皿に載せると、ハサミを
添えて、二人に一杯ずつ我々の前に置いた。我々は驚愕した。「毛蟹=高価」という図式が
インプットされているのだ、我々の脳裏には「しまった!ここは高い店だったのか!毛蟹一杯
でいくらボラレルんだ!ヤバイ!逃げなくては!」などという言葉が踊りまわる。実に小心な
ことではある(笑)。我々はマスターに、お腹がいっぱいなので蟹は食べられない、料金はいっ
たい幾らなのか、蟹は要らない、安い店だなんて本当か、蟹は下げて、本当に蟹は食べたく
とも食べられない、と口々に訴えた。マスターは不気味に微笑むと「蟹が出て怖くなったかい〜」
と言うのである。怖いぞ(^_^;。そこで我々は「蟹をしまって、料金を教えてくれなければ、これで
帰る」とマスターにキッパリ申し渡した。するとマスターは渋々「セットは一人¥2500」と言うの
である。拍子抜けした我々は顔を見合わせ、それじゃここで歌って行くかと、その後は楽しく歌
で盛り上がり、マスターも全く普通の気のいいマスターであった。勘定も特にボラレル事もなく、
お店の前で記念写真も撮った。マスターも実に素晴らしい笑顔で一緒に写っている。マスター、
何故初めから「セット料金は蟹付きで一人¥2500」と言わなかったのだ。それとも本当に蟹を
食べていたら料金はこれでは済まなかったのか。謎を残して我々は釧路を後にしたのであった。
帰札後に何人かにこの話をすると、釧路ではスナックのチャームに蟹が出ることはさほど珍しく
も無いと言う人もいた。しかし、この一件は我々に「釧路といえば蟹」という強烈な思い出を残し
てくれたのである(笑)
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